一人暮らしでの自分なりのルール

一人暮らしを就職と同時に始めました。最初は楽しくて仕方がありませんでした。今までファーストフードやコンビニエンスストアで買って食べることがすごく少ない生活をしてきたので、実家と離れて好きなものを買ったり食べたりする生活はとても新鮮に楽しく感じました。大好きだった映画も夜通し見て、朝眠ってみたりして。実家ではこうはいかないよなとのびのびと過ごしていました。

けれどもそんな生活を続けていてゴールデンウィークを過ぎたあたりから私は体調をおかしくしました。風邪だと思うのですが、熱は38度をこして、寒気がして仕方がありません。冷蔵庫の中には何もないし、友達もほぼみんな就職していたので、電話をしてもつながらないし…。もちろん、付き合っている人もいませんでした。 私はごほごほ咳をしながら実家の母に電話をすると、次の日に飛んできてくれました。散らかった部屋や台所をきちんとし、冷蔵庫の中身もそろえていってくれましたが、なんだか母はあきれ顔でした。

そして、その日だけいろいろとしてくれてからパートがあるから帰ると言って、新幹線で帰っていきました。 母が買ってきてくれた風邪薬でだいぶ楽になった私はふと机の上に置いてあった母からの置き手紙を読みました。「一人暮らしになって羽を伸ばすのはいいですが、やはりきちんと、最低限のルールを自分で作り、守った上での自由ではないと身をほろぼします。きちんとしなさい。母」私は自分自身が情けなくなりながらも、母が冷凍しておいてくれたおかずを食べながらありがたいなと思いました。

それからは一人暮らしでも帰宅する時間や冷蔵庫の中身、常備薬等も気をつけるようになり、いざという時にはすぐいける内科医も探しておきました。やはり一人暮らしはすべて自分でしないといけないので、自分自身がきちんとしていないといけないのだなと改めて思いました。

大家さんの親切心と引越しを決断する心

引越しは何回もしてきました、そして引っ越す決断も何回もしてきました。初めて親元を離れて一人暮しをした。はり治療院の2階、初めての一人暮らしで何をしていいのか分からない生活をしていました。部屋の中には荷物が少なく、兄から貰った古いテレビと布団があるぐらいでした。 その部屋に小さな引越しをしてきた日は、自分が部屋のどこにいていいのかなんとなく落ち着かなくて、部屋の隅の壁に寄りかかって過ごした事を思い出します。

大家さんである、はり治療院の老夫婦は親切ではあったのですが、その親切心がエスカレートする事もあり、自分が外出している間に、部屋を掃除してくれる事が何回もありました。部屋に帰ってくると、妙に部屋が片付いているというのは、ちょっと親切心でやってくれている事でも、ちょっと耐えられないものでした。 そして1年と少し生活をしていた部屋から引っ越す決断をしました。その次は、住宅街にある2階建ての静かなアパートでした。アパートの一番奥の一階の部屋で、以前の下宿のようなアパートに比べると、とても快適な生活ができたと思います。

でも、ここでもやっぱり大家さんが絡んできます。アパートから結構離れた住宅地に大家さんの立派な家があり、家賃はそこへ持って行っていました。 そして、行くと必ず話をされるのは、お見合いの話です。毎回、こんな娘、あんな娘、紹介されるのですが、その内部屋にも来て、部屋をチェックしながら、そしてお見合いの話をされます。結局、そのアパートも2年もしない内に引越しを決断しました。

千葉の貸し家への単身引っ越し

東京のマンションから、千葉の一軒家に引っ越しをしたことがある。荷物も少なく単身だったので引っ越し屋を頼まず、友人2人の車と、父が1トントラックをレンタルして高速をツっ走った。自分は父のトラックに一緒に乗っていたが、幌のひものくくりがあまかったため、引っ越し先についた時には幌が半分取れかかり、机の脚が折れ、椅子が半分トラックからはみ出しているという恐ろしい状態だった。よく無事で高速を走ってきたと恐ろしくなった。

引っ越し先は、ド田舎の古い2DKの一軒家で、大家さんは目の前の地主さんのようだった。平屋で小さな庭のようなスペースまであって、特に庭いじりの趣味もなかったが、草が生えて緑が目に映るのにいやされていたが、ふと気づくと大家さんたちが庭に入っていて草むしりをしたりしているので、本当に落ち着かなかった。 朝、雨戸を開けたら、大家さんが目の前にしゃがみこんだりしてるから、すごくびっくりした。鍵をかけていないと、いきなり戸が開けられて、天ぷらをいっぱいに持って入ってきたりするので、ありがたい気持ちもあったけど、やはり自分には近所つきあいの希薄なアパート暮らしの方が向いていると実感した。

場所的には川が近く、とても好きなところだったが、このような住環境になじめず、ここでの生活は1年も持たずにまた引っ越しすることになった。きっとあれが最初で最後の一軒家一人暮らしになると思う。